現代アート作家丸田恭子のブログ
2010年
12月
28日
火
水は不思議だらけ
水はガラスと同様透き通っていて本当にきれいです。あの透明感と流
動性が何とも心地よいのです。
水はあまりに身近かにありすぎて深く考えることもなく過ごしてしま
いがちですが、よくよく考えるととてつもなく異常な物質であるとい
うことがわかります。
まず、普通は逆ですが液体より個体のほうが軽く(氷河が浮いている
ことにより気候が保たれます。)しかも個体のほうが体積が大きくな
ります。そして沸点、融点が他の物質に比べ異常に高いので液体でい
る領域がとても大きいのです。(それによって生命維持が行われてい
ます。)
地球上では蒸発、降水、地表流、土壌への浸透とたえず水循環を繰り
返し自然界の均衡を保っています。
人間の体は60パーセントが水でできているということも考えればすご
いことですが、45パーセントが細胞内、15パーセントで血液、リン
パ液などの体液と言われています。細胞内では物質代謝の場を提供し、
血液を通して栄養分を運び、腎臓を通して老廃物を排泄し生命維持に
大活躍です。
水は自らも浸透しますし、他の物質を溶かすのでまるで「浸透」の権
化みたいな存在です。最近では水には情報を入れたり記憶する能力が
あるという方もいますが、それも十分に考えられることだと思います。
水はあまりに切っても切りはなせない存在なので普通に受け入れられ
ていますが、異常物質として未知なる領域がまだ隠されているような
気がします。
そして個体、液体、気体と変幻自在に姿を変え、でも本質は水である
という、制作においてもそんな姿勢で望められたらいいなと思うので
す。
2010年
12月
18日
土
最近の建築物にガラスが多いわけ
最近の巨大建築物や、室内でもガラスが頻繁に使われるようになってきました。
なぜなのか、もちろん技術の進歩は当然ですが、それに加えてその透明さの魅力それこそが一番の理由だと
思います。こちらから向こうが見え、向こうからこちらが見える。
向こう側に視覚が届くという意識の浸透がそこにあるからです。心の浸透が空間を飛び越えて別々の地点を
繋ぐからです。
完全な分離、切断から逃れはれやかな開放感と広がりをもたらしてくれる、そんな魅力をガラスは持ってい
ます。
そこで重要なキーワードになってくるのは「浸透」です。多分時代の要請としてそういうものがあるのだと
思います。浸透をある種コミュニケーションと考えると、社会はあらゆる場面で透明で純粋な繋がりを求め
ている。人々はもっと密な繋がりを求めているとそう思えてなりません。
前、ベルリンで見たドイツ連邦議会議事堂はもともとあった石造り(コンクリート?)の建物の上にガラス
張りの中央ドームが組合わさり見事という他ありませんでした。
また、キラキラした小さなガラスのかけらを見ているだけでもとても幸せな気持ちになります。
2010年
12月
11日
土
スポーツとアートと
ゴルフの『賞金王』最近テレビ、新聞で盛んに耳にする言葉です
が、実況中継の解説者曰く「この一打が賞金王のランキングに響
いてきます」と当たり前のように言っているのを聞くと、どうも
違和感を覚えるのは私だけでしょうか。
野球選手の来年度の年俸もテレビで詳しく解説されます。
一般庶民とかけ離れた金額を手にするのでニュースになるのかも
しれませんが、これほど職業とお金の絡みを明るく公表するのは
スポーツならではだと思います。
そもそも、スポーツのニュース自体の取り扱い量、記事の多さは
美術関連記事とは比べものになりません。
なぜここまでスポーツとアートの取り扱いに格段の差が生じたの
か感心の度合いからと言ってしまえばそれまでですが、メディア
の責任も一理あると思えてなりません。
話をもとに戻して、仕事とお金の絡みということで言うと、アーティストは往々にしていい仕事ができれば
いい、お金は関係ないという人がいるのは事実です。でもアートと経済は今や切っても切りはなせません。
たとえば、お金は天下の回りものであって重要ではないという主張のある作品でさえ、それを普及させるに
は経済が必要という逆説的なことがおこる訳です。
今、アーティストはスポーツ選手をはるかに超える年収のある人達が大勢います。(日本では少ない。)
しかし多くのアーチィストは極貧生活を強いられながら何とかそこから抜け出したいと、制作に膨大な時間
を費やし模索しています。
経済の重要性を認識しつつも、お金は後からついてくるものであって、そこまで露骨にあっけらかんと賞金
王とか全面に打ち出されてもどうもしっくりこないのです。
これをアート界に置き換えればさしずめ、、、、王になるのでしょうか。
2010年
12月
03日
金
絵画という物質
私達が老いるのは物質にこだわらないように、物質に執着しない
ようにそのために老化していくのだという話を聞いたことがあり
ます。確かに大切なのは物ではなく眼に見えないものだという主
張はよくわかります。
また、捨道(すてどう)の達人はいらないものはどんどん捨て、
本も他に回すなどばんばん処分し部屋も心も整理されクリアにな
ると言います。
ではある意味、物質にとことんこだわり絵画という物質を作って
いる状況はどう考えたらいいのでしょうか。
絵画は平面という2次元に限りなく近い存在であるとはいえ3次元
という物質以外の何物でもありません。
確かに表現方法としては映像、インスタレーション、パフォーマン
スなど非物質化傾向は多様性を増しています。もしかしたら絵画は
時代に逆行しているのかもしれません。
しかし、眼に見えない価値をいかに可視化するのか、その物質に横たわる理念、思想、哲学
をいかにその物質を通して浮かび上がらせるのか、その誘発材としての物質はその視覚イメ
ージとともにとてつもなく価値あるものになるのだと思います。
幸か不幸か私達は体という物質を持って生まれてきています。そしてその関係は精神と肉体
の関係にちょっと似ています。それが切っても切りはなせないように絵画とその理念もそん
な絡み合う関係と言えるのかもしれません。でも忘れてならないのは形あるものは必ずいず
れなくなります。
2010年
11月
27日
土
天声人語に
昨日の朝日新聞の天声人語におもしろい記事が載っていました。
「無闇に烈しい言葉を用いると、言葉が相手の心の内部へ入り込
む前に爆発してしまう。言葉は相手の心の内部へ静かに入って、
入ってから爆発を遂げた方がよいのである。」
最近の国会で続く野党若手の代表質問の大げさな物言いや汚い言
動の罵倒に対する批判として引用された清水幾太郎の名著「論文
の書き方」の一節です。言葉は慎ましいものにかぎる、人を見く
びるなかれとの論説が載っていました。
まさにこの一節は作品にもぴたりと当てはまると思ったのです。
新しいもの、奇異を狙ったもの、見かけの派手なものは特にマス
コミは飛びつきやすいけれど、ただただそれだけでは何も残りま
せん。作品は相手の心の内部に静かに入って、入ってから爆発を
遂げ、記憶に残るものでなければならないのです。
しかし、言葉と違って絵画は瞬時性が強いので、イメージと言葉が絡み
合う前段階の最初のインパクトは当然必要になることは言うまでもあり
ません。
2010年
11月
23日
火
現在
今何を思い、今なにを感じ、今どこに眼が向けられているか、それが一番大切なこと。
しかし、ホームページを作る作業というのは結局自分の過去を振り返り検証するという作業になりました。
1982年6月末初めての渡米以来あっと言う間にこんなにも年月がたってしまったものかと感慨ひとしおです。その頃ま
だ1ドル259円の時代でした。最初ロサンジェルスに少し立ち寄りニューヨークに渡りましたが、カルチャーショックは
相当なもの、でも、そこから新しいページが始まりました。
そんな年代以降に生まれた世代が今や展覧会をする時代になるとは。ちまたに増殖しつつあるお手軽具象作品、玉石混交
とはいえ大きな時代の波のようなものがやはりあるのは事実です。何がいい悪いということではなく、そんな波に翻弄さ
れることなくどれだけ自分自身に真摯に向き合えたかそれが大事なことだと思います。料理だってありとあらゆるものが
存在しそれぞれおいしいように作品もしかりかと。
自身の核さえしっかりあればどのようにこれから先向かっていくかは自分次第。今まで積み上げてきた自分の歴史を踏ま
えどのようにそれを構築させていくか、あるいはそれを壊していくかまっすぐ前を見て進んでいきたいと思っています。
2010年
11月
21日
日
ブログ始めました
ブログもあったほうがいいということで、開始することにしました。
本当に遅ればせながらやっとホームページなるものができました。今まで気が向いた時のみインターネットをのぞく程度 でしたが、知らぬ間にものすごい勢いで前後左右上下?とその情報量とスピードで世界の人と人が繋がりつつあるという ことに驚愕し、加速度的に変化するこの時代に生きているということをあらためて自覚しているところです。 これからも人と人とのコミュニケーションがより密になる方法としてテクノロジーがもっと威力を発揮していくことにな るでしょう。そしてそんなに遠くない将来、もしかしてテレパシー領域にまで踏み込むことができるようになるかもなんてふと思ったり もしてしまいました。
やはり作家として活動の情報提供は必要と思い、そして少しでもいろいろな方と繋がりが持てればいいなと思っています。