2012年

3月

14日

価値あるもの

三寒四温の中、福寿草が!
三寒四温の中、福寿草が!

 

かつて小説家のヘンリージェイムズは、アーティストの制作物

を考える時、有効的な3つの質問を提唱したそうです。

 

「アーティストが成し遂げようとしたことは何か?」

「そのアーティストは成功したか?」

「それを行なう価値があったか?」

 

観る者のバックグラウンド、素養にかなり左右される事は当然

ながらも1つの見方として的を得ており中々辛辣でもあり、正

直今までこのような三段階的見方をしたことがなかったため興

味深くいろいろな作品に置き換え思いをめぐらせてみました。

 

作品を前にこのアーチィストは成功したがそれを行う価値はな

かったとか、成功はしなかったが行う価値はあったとかこのテ

ーマであれやこれや言葉が飛び交うことになるのは予想されま

すが、価値があったかなかったかの検証これは手厳しい限りで

す。

 

では行う価値とは価値あるものとは何なのでしょうか。

 

それを考えていた時思い出したのが、かなり前のテレビ放送に

なりますが、ハーバード白熱教室の日本出張教室でのお題でこ

んなものがありました。「ゴミ箱に捨てられているものを使っ

て価値あるものに変えて下さい。」グループごとに分かれて、

実際に使用できるにものに変換させたり、あるいはゴミを使っ

て調査実験したデータ(人々の意識がそれによって変わるので

はないかという期待)の提出であったりとおもしろく見た記憶

があります。これは確か起業家を育てるための授業であったよ

うに思います。

 

価値あるものへの転換、これはまさにアーティストが目指すこ

とでもあり作品に求められるものなのだと思います。

 

ただ価値とは人種により時代により地域により個人によりまっ

たく異なるものであるとともに作家自身にとってみれば価値の

ない行為など存在するとは思えません。

 

作品が他者にされされた時初めて価値が問われる訳で、アーテ

ィストは目の前に全面的に価値という言葉を掲げて制作はして

いないと思いますが、後から評価の対象として真価が問われて

くることになるにしても、作品を前に観る人達が幸福な面持ち

で、あるいは真剣な顔つきでけんけんがくがくやることはとて

も重要、価値あることだと思います。

 

 

 

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