2012年
7月
28日
土
抽象という絵画
20世紀美術において抽象は飛躍的にその領域を深めました。
主に抽象画を描いてきてる者として描き出した当初のことを少
し振り返ってみました。私自身の中では純粋にまっさらの状態
で絵画に取り組むという過程で具象画から抽象画への移行はあ
まりにも当然であり、必然から生み出されてきたという極々自
然な変化であったように感じます。何が観者の奥に届き爆発さ
せるのかを考えた時、具体的な形はじゃまになっっていったの
です。
ただモダニズムという歴史を背景に抱えながらそれが無意識に
作用していたのかということの検証も必要かもしれません。
よく抽象画において何か具体的なものが画面の中に見えてしま
った時、百も千もあった思考の広がり奥行きがが瞬時に陳腐な
ものへと化してしまう事がが多々あります。最初の意図が流さ
れる瞬間です。また得てしてその逆も起こることがありますが
、、。
音楽と比べて歌詞が具象、楽器演奏が抽象という見方もできま
すがただ単純に抽象が上位に位置するというわけではなく、そ
して絵画に関していえばいわゆる具象画もすべて抽象画である
という見方ができます。
「抽象」と「捨象」とは表裏一体。捨象(しゃしょう)とは事
物または表象からある要素、側面、性質を抽象するとき他の要
素、側面、性質を度外視すること。
どんな写実絵画でも形態の無化に向かうミニマリズムであろう
と画面を構成する時には大小の差こそあれ必ずこの行為はつき
まとってきます。
「抽象化」は人類が発達させてきた極めて重要な能力の1つで
あり、たとえば数学では思いっきり捨象してようやく物事の本
質が見えてくる学問であるそうですが、すべての分野で抽象的
思考力を鍛える必要性が唱えられています。もちろんビジネス
においてもしかりです。
ちょっと横道にそれてしまいましたがまた話を元にもどして、
そもそも抽象画、具象画という分け方自体の意味合いが薄くな
ってしまいますが、生きた世界、何ものかへとたどり着くため
の手がかりとしての重要な概念であることに変わりありません。
最近は画面上具体性、抽象性の境界線上にある抽象性に気持ち
が惹かれます。